卓球男子のシングルス準決勝に感動

卓球男子シングルスの水谷選手の準決勝、世界ランキング1位の中国の選手を相手に大健闘した試合は、結果的に負けはしましたが、とても印象に残りました。

3ゲーム取られて、もうこのままあっさりと負けてしまうのかなと思っていたのに、その後1ゲーム取り返してからは、本当に手に汗握る内容で、テレビで見ていてもその表情から、相手の中国の選手が完全に余裕を無くして、うろたえているのが良く伝わって来て、引き込まれる感じがしました。

精神的に崩れるというのはこういう事なのだなと感じましたし、その後、また中国の選手が精神的に立ち直っていく様子もよく分りました。本当はもう寝るつもりをしていて、ちょっと様子だけ見るつもりで見始めた試合でしたが、最後は思わず声を出して応援するほど素晴らしい試合で、負けたのは残念でしたが、とても感動しました。

オリンピックが始まり、毎朝メダル獲得数が増えていくことが楽しくてしょうがないのですが、インタビューの様子を見ていると時々スッキリしない気持ちになるときがある。

各選手、色々な目標を掲げて会場入りするのだろうが、世界選手権や世界ランクで上位に収まっている選手は当然のことながら金メダルを狙っているのは誰しもわかっていること。

ただ、金メダルが確実と言われていても、試合であるからには色々な要素が重なって相手に分があるときだってあるわけで、メダルは獲得できたけれど、金メダルではなかった何てことは当たり前だと思う。

では、なぜ銅メダルでは申し訳ないと思うのであるのか。

一昔前『一位じゃなきゃダメなんですか?』なんて発言が世をにぎわせた時をあったなと思い出してみたり。
ゆとり教育を導入したものの世界と学力を比べたら落ちていく一方の現状に焦りを感じ、脱ゆとりを進めてみたり、やっぱり一位は大事なんです。

でも、試合が終わったすぐの時は悔しく思っていいと思うが、メダルセレモニーの後くらいはメダルがとれてよかったといってほしい。だって、メダルがとれるかとれないか、つまり3位か4位かの差は大きいと思えないのだろうか?セレモニーに出れる喜びを味わい、次の世代に伝え、でもやっぱり金がよかったと教えていくことが、東京オリンピックでのメダル数に繋がるのではないかとおもうのです。

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